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  • 執筆者の写真: 株式会社ひらり
    株式会社ひらり
  • 2024年12月26日
  • 読了時間: 2分







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facebook世代でお馴染みの話題ですが、父が旅立ちました。


39歳で起業し、母と三人の娘を養い、家を建てて、

大きな声で話し、どーんとした存在感と天真爛漫な気質のある父でした。


思春期の多感な時期の娘たちに

「ねえスキーに行こうよ!」とか「カラオケ行こう」と

天真爛漫に誘って来たので、その時期特有の

父を疎ましく思う気持ちもありながらも、よく一緒に遊びました。


一方で精神的な病も抱え、本人も家族もその症状に

大いに振り回された人生でもありました。


晩年の20年間は、薬で症状を抑えられて、

父らしい快活さはなくなり、薬効でぼーっとしていました。


私たち娘の言うことは何一つ反対せず、進路に口出しも手出しもしない父でした。


おかげで独立,起業、上京できました。

妹もおかげで海外で暮らしています。


虫の知らせで名古屋の実家に会いに行っておいてよかったです。

人生を総括する感謝を伝えられて、父も涙を流して喜んでくれました。


かなり親子、家族ですったもんだがあった時もありましたが、

父とは魂の縁が深かったんだろうなと思います。


親子だからこそ、縁を切れないからこその苦悩があった時もありました。

そのすったもんだのおかげで、学び成長できたと思います。


今は父のことが大好きです。尊敬しています。


研修やセミナー業をしているとなかなか駆けつけられない立場と

言われますが、取引先様に打ち合わせ日程を調整していただき、

最期の時間を共に過ごすことが出来ましたし、御朱印帳を棺に

入れてもらうこともできました。


ある日訪れた清明山という土地で「この辺りに住みたい」と閃き、

そこに土地を見つけて家を建てた父。


経営の危機で家を売ろうとして買い手がついたのに、

やっぱり手放せず、結局家を守ることができた強運を持っていた父でした。


父逝けり空あおあおと清明に今にし思う守られて来ぬ  


お父さんありがとう。

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