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見えないものを感じ取るセンス リーダーとしてどう在るか?



見えないものを感じ取るセンス リーダーとしてどう在るか?


はあ。。深いです。。毎月恒例『新釈古事記伝』読書会を火曜日に開催していました。著者の阿部先生は、古事記そのものの翻訳ではなく、古事記を通して先人が伝えようとしたものを「みたましずめ」をして、心読、体読、苦読して”なにものか”をつかんだ上で、その”なにものか”をなるべくわかりやすく現代文にしてくださいました。 戦前の高校の先生の授業の内容が書物になったものですが、その深さに、一人でさらっと読んでいては解釈が薄くなってしまいそうなところを、仲間たちと対話しながら深めていくという時間です。


人としての在り方について、こんなに深い感覚を高校生に、教えてくださる先生がいらしたのだということと、それを受け取ることができる高校生がいたのだということに感銘を受けつつ、リーダーとしてどう在るのか?の感覚を磨いていく時間になっています。


今回は、少名様の段から、「おまつり」と「おひかり」についての考察を読みました。奈良県の三輪大社に祀られている大国主命の幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)について、朝な夕なに拝むことによって国づくりが完成されるということ、その拝む対象はほかでもない、自分自身の内にある尊いものであることなどに言及されていました。


長年地元の御祭りでお神輿の担ぎ手として参加し続けておられる方の体験談を伺いながら、おまつりにおいて、自他の分離がなくなり、ひとつになることについて味わったり


「おひかり」の概念に至っては、あまりにも大切な概念で感覚的なので、自分の言葉に置き換えずにそのまま掲載されている文を紹介します。


「そして、この”おひかり”に導かれてする私どもの行いが、実は”神惟(かんながら)”の行いであると存じます。」


一部だけを切り取るとその概要は伝わり切らないのですが、一文だけとりあえずご紹介しました。


少名様の箇所を改めてじっくりと読み味わうことによって、日常を生きていく上で、大切な何かを掴みつつあることを実感しています。


皆さんそれぞれに感じるところが違うかと思いますが、私はもう一回同じところについて対話したいほどの箇所だと感じています。


今回も、ともに分かち合いました皆様、どうもありがとうございます。





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