
少し前のことですが、山伏の星野先達のお話を伺うZOOMイベントがありました。
そこで、これまで時々感じていた違和感が納得する、腑に落ちる体験をしました。
星野先達は、70歳代の方で山形の出羽三山にて山伏をされています。
出羽三山といえば、学生時代に卒論で取り上げた、松尾芭蕉の『奥の細道』で初めて知った場所です。
雲の峰いくつ崩れて月の山 芭蕉
夏の徒歩の旅。暑さを感じ、蝉の声まで聞こえてきそうな一句。しかも結句が「月山」と掛かりつつ軽みが感じられ、かっこいい。
さて、星野先達は、ただただ長年の修行で体験されたことだけを語ってくださり、知っていることを一切語らない。そのことが大変心地よい時間でした。
そこで冒頭の「感じたことを考える」に戻るのですが、日頃私が感じていた違和感はここだったんだなあと感じ入る体験となりました。
私は学びが好きな方かもしれませんが、それはただ知りたいとか情報を集めたいと思ったことはなく、日常の中で肌で感じたものから疑問を持ち、仮説を立てて、「それならこれを学んでみよう。」と言う順番で学び、「ああそうなんだ!」と体感したものを人に分かち合おうとする。と言うことをしているんだなと分かりました。
そういう意味で、
逆の順番、情報を得ようとすることが優先になっている方や場面に遭遇した時に違和感があるのだなと理解出来ました。
体感して腑に落ちたこと、ああ世界はこのような構造なのだ、と思ったことを分かち合う。疑問に思ったことを体感するために学ぶ。
本質は体験(脳幹、間脳視床下部、松果体)からくる気付きや学びで、情報(大脳新皮質)はその体験を捕捉するものでしかない。むしろ邪魔になる。
このことを改めて自分に確認する時間となりました。
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