愛からの厳しさと、単なる厳しさの違いとは?
毎月恒例、『新釈古事記伝』読書会、あめつちのはじめの会でした。
今回も、じっくり読み進めました。
スサノヲの命の「まいのぼり」の尊さ。
それを出迎えて立つアマテラス様の「いつのおたけび」の覚悟と矜持。
美しく、凛々しく、愛からの厳しさを示すアマテラス様の勇姿。
弟の成長を喜びつつも、さらに高い視座から、磨きあげられる人格の向上を願い、厳然と出迎える。
こうした愛からの厳しさを示す人や場面が、最近は少ないのだろうと思います。
その愛に裏打ちされた厳しさを理解できる人も少ないかもしれません。
そして、深い愛と相手の可能性に対する信頼からの厳しさを、見える行動面だけ真似た教育をする人が、多かったのかもしれません。
だからハラスメントなんて言われるようになったのかもしれないなと思いました。
私にも、愛から厳しく叱咤激励してくださる方がいます。
時々凹みながらも、打たれてもなお、これをするのだという使命から立ち上がる毎日です。
自然界も人間に、同じように愛の裏打ちから厳しく接してくれているように思います。
それでもなお、私たち人間は立ち上がる。
大きな目で見た進化に向けて。
大事なものを大事にして、生きていきたいものですね。
今月も深い古事記の解釈を巡る深い対話にご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
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