心読、体読、苦読して”何ものか”をつかむ


古事記読書会「あめつちのはじめの会」では、今日からいよいよ『新釈古事記伝』に入りました。


この本から、他の書籍とは全く異なる”何か”を感じます。

本当に大切な何ものかを受け渡されたような気持ちになる本です。

8~9年前に読書会をしていましたが、再び読書会ができること、この本の美しい佇まいを声に出して読みながら身体に落とし込んでいく仲間と機会が再び巡ってきたことを、喜んでいます。


●「はしがき」の箇所より


「いわば『古事記』は汲んでも汲んでも汲みきれることのない泉のような”たましい”の糧なのであります」


「通俗的な解釈にも、学者と言われる人たちの解釈にも、本道を歩いているものがないのではないか」


「『古事記』の本当の研究は”ひと”の”たましい”によっていたすべきことであります」


●「おことわり」の箇所より


「『古事記』のいちばんの原典は大和民族の”やまとごころ”そのものでありましょう」


「”みたましずめ”をして、いわば、心読、体読、苦読して”何ものか”をつかんだ上で、その”何ものか”をなるべくわかりやすく現代文に書き綴ったものであります」


参加された方からは「正座して読みます」「禊してきました」「神社に参拝する気持ちで読む」「これまで読んできたことのある『古事記』とは全く違う」「神聖な感じがする」「美しい文章に触れて心がほっと穏やかになりました」などの感想が出ていました。


慈愛あふれる美しい文章に触れること、声に出して読むこと。それだけで、私たちの心はすっと整うのだな。と改めて気付く時間でした。


参加されたみなさん、ありがとうございました。