北海道の大地になってみたら
真っ白に広がる雪原と青い空。北海道の冬の大地になってみた。
人がいようがいまいが、関係ない。人でもきつねでも、鹿でも、木々でもいのちであることに変わりがない。ただただ、泰然と在る。
その大地から、私にメッセージを投げかけた。
好きなように過ごしたらいい。そこにいい悪いはない。
数年前に、ネイティブアメリカンとケルトの血を引く長老の女性から、「映画のワンダーウーマンみたいだね」と言われたことを思い出した。
世界をより良くするために、とてつもない強さで戦った女性。そして、今は、闘いより愛の方が強いことを知っている。というエンディングだった。
この今の社会情勢において、私や、私たちにできることは何か?と自らに問いかけてきたが、北海道の広大な雪原になってみることで、ああ、起こったことをジャッジして、良くない、憂慮すべきことだとレッテルを貼る前に、愛で包含するということを、今、レッスンとして学んでいるんだと気づいた。
生きているということは、「いのち」からの、なぞなぞに答えること。
なぞなぞゲームの真っ最中が、生きているということ。
冥想しながらネイチャーコーチングをしてみたら、こんな気付きが起こった。
ロシアとウクライナに起こっていること、世界に起こっていることに心を痛めた時、その奥にある愛に気付くこと 愛があるから心が痛いのだということ 仏教哲学者のジョアンナ・メイシーから学んだ、「痛みの奥には愛がある」を思い出した。
そして、遠くの世界の大きな出来事に見えるこのことは、フラクタルに、身近な誰かとの関係性にも起こっている。
分離して、違うものとしてジャッジするんではなく、愛で包含する。
そのことを今、学ぶために起こっている。
自分の瞑想の気づきの忘備録として書かせていただきました。
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