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執筆者の写真株式会社ひらり

「ぶあいそう」と読みます













「ぶあいそう」と読みます


白洲次郎記念館は、ご本人が名付けた「武相荘」という名です。

武蔵国と相模国を合わせて命名されたそうです。昭和15年に転居して畑を耕しながら戦中を過ごした場所。

戦後GHQの占領下で吉田茂首相の通訳をしていた時に「従順ならざる唯一の日本人」と評された次郎の自己肯定感はいかにして育まれたのか?に興味があります。英国に留学するなど流暢な英語を話し、英国流の暮らしを好んだそうです。

次郎、正子ともに裕福な家庭に生まれ、ともに実家の家業が倒産し、海外留学から途中帰国し結婚したそうです。

次郎は専用のバーを持っていたり、美しい食器や正子の文学研究に使ったのであろうたくさんの蔵書などからも、その後も豊かに良いものに囲まれて過ごしたことがわかります。


リーダーのための言霊塾中伝にて訪れた場所。 写真をいくつか撮ったので、共有します。

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